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2012.05.31更新

いわゆる「口先だけのがんばろう日本」族 とは違って、しかもそれが「当たり前のこと」って言うところが共感できます。

以下、産経新聞 5月31日(木)10時1分配信 記事より

 岩手県田野畑村を訪れたことがある。親友の墓参りをするとともに、吉村昭氏が小説に描いた場所を歩き、吉村氏を知る人たちから話を聞くためだった。平成17年11月のあの日、吉村氏が太宰治賞を受賞した『星への旅』を書くモチーフとなった、高さ約200メートルの「鵜の巣断崖(だんがい)」にも立った。

 吉村氏は50年ほど前、同村出身の友人の勧めでこの三陸の小村を訪問。以後、毎年のように村を訪れた。その過程で、三陸海岸を襲った津波に関心を寄せ、記録小説『海の壁』(文庫本では『三陸海岸大津波』)を著した。

 同書には、明治29年、昭和8年の津波と昭和35年のチリ地震津波のことが記されている。そのうち昭和8年の項では、被災地の住民に配布された「地震津波の心得」というパンフレットについて触れている。「緩慢な長い大揺れの地震があったら、津波のくるおそれがある」「家財に目をくれず、高い所へ身一つでのがれよ」...。

 東日本大震災が起きた日に鵜の巣断崖に人がいたら、その目に押し寄せる津波はどのように映ったのだろうか。

 田野畑も被災した。北上山地がそのまま海にせり出したような所で、平地が少ないものの、発生した震災がれきは推計7万7千トン。人口4千人弱の村に処理する能力はなく、南へ約40キロの宮古市へ運び、その先は数々のルートで処分されることになっている。

 その宮古市の可燃系廃棄物を、秋田県の大仙市が4月から受け入れ始めた。被災地のがれきの受け入れは秋田県内で初めてで、栗林次美市長は「遅かった」と悔しそうに語る。次に続きそうなのが大仙市の東隣にある仙北市。受け入れるのは田野畑の北約30キロにある野田村の不燃系廃棄物だ。門脇光浩市長は「反対はあるが、やる」と語る。昨秋、宮古市のがれき受け入れに踏み切った東京都の猪瀬直樹副知事と話をする機会を得たとき、岩手県人の一人として「ありがたいです」と言ったら、「当たり前のことだ」との言葉が返ってきた。

 がれき受け入れを決断する自治体では、首長の被災地復興に対する強いリーダーシップを感じる。がれきの安全性の確認を基としながらなお一層、広域処理の動きが全国的な広がりとなるためにも、そんなリーダーシップを持った首長が続くことを願いたい。

 泉下の吉村氏はどう思っているだろう。ご存命だったら、ぜひとも聞きたかったところだ。(秋田支局長 土樋靖人)
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投稿者: 弁護士髙瀬孝司

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